新生児の撮影。いわゆるニューボーンフォトも含めた写真のお話です。
書いてる途中で、書く必要もないこともあるかと思いましたが、
私の中では、すべて繋がってる出来事で、自分の想いを残す意味でも、この1ページに記載することにします。
非常に長くなりますので、お時間のある方、興味を持たれた方は、お付き合いください。
遡ること2011年
宮古に戻ってから、スタジオで「百日記念撮影」に携わることになりました。
沖縄では一般的なもので、実際は100日ちょうどではなく、首が据わってから・・・とか、表情が出る時期になってから(笑顔で撮影したいという親御様が多いため)撮影することが多かったです。
大阪で大人の撮影ばかりしてきた私にとって、赤ちゃんの撮影は非常に難しいものでした。
不安定だから座らせることも大変。
そして、泣く。
どうあやせば良いのか?どうしたら笑顔を引き出せるのか?
まったくわからず、ただただ、叔父の撮影する様子を見ながら、試行錯誤する日々でした。
経験は大事ですね。フォローしてもらいながら、実践を以って撮影のコツをつかみ、スムーズに撮影できるようになりました。
そこから、子供写真や家族写真に興味を持つようになりました。
時は過ぎ、2016年
「新生児の撮影をしたい」と思うようになりました。
きっかけは、娘の死です。
妊娠23週で妊娠高血圧症候群と言われ(通常は妊娠後期で起こることが多いらしいです)24週で産むことになりました。
心臓には疾患があり、しっかり成長もしていない。生きれる希望はほとんどない状況での出産でした。
結果、出産から2時間ほどで息を引き取りました。
とても辛かったです。簡単に仕事復帰できる状況ではありませんでした。
赤ちゃんの撮影をするなんて考えられなくて、そのままスタジオも辞めました。
長くなるので、その時の想いは省きますが・・・
そのうち、「だからこそ、命を撮影したい」と思うようになりました。
一番に撮影したかったのは、バースフォト。出産の様子を撮影するものです。
それまで、私は「妊娠すれば出産する」とあたりまえのように思っていて、自身の体験から「命が産まれるということは、あたりまえのことではない」ということを思い知らされました。
だからこそ、その貴重で大切な出来事を撮影したい!と
ただ、果たして今、他人の出産シーンにカメラを向けることが出来るのか?
私の置かれている状況からして、そこまでの勇気もなく・・・
それなら!産まれてすぐ、産院で赤ちゃんを撮影することなら出来るかもしれないと思いました。
娘を亡くして、2ヶ月後のことです。
決して、立ち直ったわけでも、乗り越えたわけでもありませんでした。
それでも「撮りたい!」と思いました。
写真を撮る身でありながら、我が子の撮影が出来なかったことを後悔していたことが大きかったのだと思います。
実際に撮影してみて
辛さよりも、やっぱりこの瞬間は残しておきたいものだと思いました。
ただ可愛いだけはなく、その時の状況、親御様の想いをこうしてカタチにすることで、これから先、より大切なものになるだろうと感じました。
何より、その姿は長い人生において一瞬でしかないということ・・・
そもそも、今の時代、携帯で手軽に撮影できます。
それでも、他者(カメラマン)が撮ることのメリットとして、
- 親御様も含めて撮影が出来る
- 出産直後でバタバタで、意外と自分で写真を撮る暇がない
- 赤ちゃん自身が生まれた(育った)環境を知ることができる
などが挙げられるかと思います。
その後「ニューボーンフォト」の存在を知りました。
2018年春。沖縄を拠点に活動されているニューボーンフォトグラファーさんを知り、意外な縁があって宮古でワークショップをしてもらう運びとなりました。
ワークショップはとても充実したものでした。
それとともに「簡単に出来ることでもない」ともあらためて思いました。
しばらくは、過去に撮影したことのあるお客様のご協力の下、撮影の機会をいただきました。
安全面に配慮し、赤ちゃんとお母さんのことを第一に考える。
最初はそれだけで精一杯でした。
それから2年ほどの間、何件か撮影しましたが、数をこなすほど、よりナチュラルな撮影がしたくなりました。
私が撮りたかったのは「日常の風景」
衣装を着たり、装飾したり、作りこんだものではなく、いつも通りの授乳風景。
「残しておきたいもの」だと思いました。
赤ちゃんに関わるすべての撮影は、私なりの「命に対する向き合い方」
自己満足・・・なのかもしれません。
でも、撮影後に「撮影して良かった」と言っていただけると、続けることに意味があると思えるようになりました。
普段行っているファミリーフォトも、この新生児の撮影も、私の中で違いはありません。
いつも、そこにあるのは「大切な人と過ごす時間をカメラにおさめたい」その想いだけです。
ただ寝ている姿も泣き顔も、なんてことはないのですが、特に手を加えなくてもそれだけで十分かわいい!
むしろ、こっちの方が赤ちゃんそのもののようにも思えました。
私が撮影したいのは、やっぱり、どこまでも、日常に繋がるものだとあらためて思いました。
それは、ずっと昔から望んでいたもので、でも私が叶えられなかったこと。
当たり前があたりまえではないと再認識した、その延長線でした。
海外で発祥したニューボーンフォトは、とても素晴らしい撮影です。
ただ、産まれたそのままで、ポーズつけしなくても十分じゃないかなとも思います。
こう書いてしまうと、出来もしないのにニューボーンフォトを批判していると思われるかもしれませんが、そうではありません。
本来のニューボーンフォトは、美しく仕上げるアートだからこそ魅力的なわけで、尊敬するフォトグラファーも多くいます。
私に子供がいれば、絶対撮ってもらいたい!と思うし、残せる人は残した方が良い!と心から思います。
その気持ちと同じくらい、「そのままの姿」を残したいと思っています。
流行りだから、赤ちゃんの撮影がしたいわけではなく、いろんな経緯があって今に至っています。
そこをお伝えしたくて・・・こんなに長くなってしまいました。
日常の延長線で、新生児の姿を残しておきたい!と思って下さった方は、ご依頼いただけると嬉しいです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。